どうも、てらけんです。
僕はいわゆる「いじめサバイバー」であり
「ゲイに対する絶望、躁鬱からのサバイバー」でもあります。
だいぶ悩んできたし、葛藤してきました。
中高生の頃、何度泣いたか分からないし、どこまでいっても孤独でした。
今回、そんな葛藤期を乗り越え、
自身のセクシャリティ、
社会的マイノリティさを受け入れつつ
自分らしく生きている起業家の僕が、
過去を振り返りながら
「ゲイ(LGBT)は不幸なのか?」
という一説に対して切り込んでいきます。
※LGBTは今や13人に1人、
左利きと同じくらいの割合で存在します
あえて構成を考えず、
ドバドバ出てくるものを書いていきます。
最終的にはビジネスの話に収束させますが、
もっと起業やビジネスついて知りたい、
お金を稼ぎたいんだ、という人は他の記事を。
※初心者におすすめコラムはこちら
LGBT全体、
あとは自身のマイノリティさゆえに
生きずらいなと感じてる人も
ぜひ読んでみてください。
鬱の人とか、事情があって働けない人とか、夜職とか。
ではでは、中身に入っていきます。
↓↓↓ココから↓↓↓
「あぁ、好きな人に好きって言えたらどれだけいいだろう」
物心ついた頃から、
僕はそんな感情を持つようになっていた。
LGBTは性的嗜好ではなく
性的指向だと言われている。
遺伝子の関係などから
生まれつきの人も多いみたい。
僕は先天的だったのか
後天的だったのか分からないけど、
気づいたら男性、
しかも体の大きな人に
目がいくようになっていた。
小学生の時はまだそこまで自覚がなかった。
でも中学生になった頃から
じわじわと自覚がはじまった。
「あれ、女性に対して
付き合いたいとか一切思わないな。
友達と話が合わないや」
「もしかして僕っておかしいんじゃないか?」
「なんでK君(当時好きだった人。初恋相手)」
のことばかりに目がいくんだろう」
「なんでK君を見てるだけで
こんなにドキドキするんだろう」
K君はいつも元気で、人気者で、
気づいたら僕はK君のことばかりを考えていて。
でもそれって絶対おかしいし、
K君はおろか、
友達や親にも相談できるわけがなく。
「恋愛感情じゃなくて
友達として好きなんだろうな。
きっとそうだよな」
と思い込み、気持ちに蓋をし続けた。
でもやっぱり、ハッキリと好きだった。
確実に好きだった。
というか好きすぎて、見てるだけで胸が痛かった。
でもある日、K君からこんな一言をいわれた。
「お前さ〜、そんなにジロジロ見るなよ〜。ホモかよ(笑)」
胸がチクっとして、その時、
「あはは、まさか〜」
としか言えなかった。
ああそうか、
K君は普通の人(異性愛者)で、
僕が異常だから
この恋は最初から叶わないんだ、あはは、と悟った。
中学時代の3年間、
K君のことをそっと応援していた。
好きだったから、ただただ、そっと。
一度告白してしまおうかと思ったけど、
笑い者にされるのがオチだし
また傷つきたくはなかった。
だからそっと見守るだけにしたのだ。
一時期、塾が被って
学校以外で会える日もあった。
もうこの時はめちゃくちゃ嬉しかった。
でもそんなに喜んでるのがバレると
また気持ち悪いと言われるので、
平常心を装ってふるまった。
「おお、Kじゃん。おつかれ〜。勉強順調?」
みたいな。
とにかく葛藤した。
まだ自覚がはじまったばかりで
完璧に認めてはいなかったから、余計に。
しかもこの葛藤とは別に、
激しいイジメもあった。
殴ったり蹴られたりの日々。
怖くて一度もやり返せなかった。
こんな調子だから
中学の3年間はリアルにいい思い出がない。
でもこの3年間を思い出す時、
決まってK君のことが頭によぎる。
叶わない恋に葛藤もしたけど、
あのつらい日々の中で
彼の存在が支えになっていた部分もきっとあった。
やがて高校生になる。
高校生になった後は
K君とも全然連絡を取らなくなり、
僕は新しい道に進んでいった。
当時はまだガラケーだ。
SNSも全然っていう時代だったので、
誰かとゆるく繋がったり
交流したりっていうのができなかった。
高校生になったあとも
激しいイジメがあり、
また3年間悩むことになっちゃったけど、
新しくできた好きな人、
S先輩にもだいぶ支えられたと思う。
10代を振り返る際、
K君とS先輩が必ず出てくる。
一般的な青春はなかったけど、
彼らとの時間は
もしかしたら青春だったのかもしれない。
好きだったなぁと思う。
今思えばなんで
あんなに好きだったのか分からないけど、
めちゃくちゃ好きだった。
廊下や放課後に会うだけでドキドキして、
鼓動の高まりがバレないかが怖かった。
必死に隠していたから。
周りを見渡すと、
告白した〜とか
彼女ができた〜とか、
そういう話が多くなっていた。
「好きな人に好きって言えたらどれだけいいだろう」
と何度も何度も何度も思った。
言えるわけがなかった。
もし伝えて、
「気持ち悪い。無理だわ」
なんて言われたら一生モノのトラウマである。
だから僕が選んだ道は、
「ただ何も言わず、悟られず、
一緒に過ごせる時間を楽しく過ごす」
という道。
S先輩と釣りに行って、
ゲーセンに行って、
その全てが最高に楽しかった。
隣に立って
一緒に遊んでいる時間が
ずっとずっと続けばいいのに、と。
ある日・・・
「俺んち来る?ゲームしようぜ。
あと親がカレー作ってるから、一緒に食べよう」
「まじすか?行きます(内心バクバク)」
山を少しのぼった先にS先輩の家はあった。
ママチャリを漕いで必死にS先輩についていく。
「早く来いよ〜!!!」
と立ちこぎの猛スピードで突き進んでいくS先輩。
風が頬を切る。
薄寒かったのを覚えている。
ようやく家に着いて、たくさん遊んで、
カレーも頂いて、あっという間に夜。
本当に楽しかった。
イメージでいうと、
「憧れの先輩と後輩の女の子」
みたいな感じだ。
僕はずっとドキドキしていたし、
この時間が永遠に続けばいいのにと願っていた。
帰り道、途端に虚しさが襲ってくる。
気づいたら涙がぽたぽた落ちてきて、
土に吸い込まれていった。
絶対に叶わない恋。
というか「好きなんです」
と言うことさえできない。
ふと、K君のことを思い出した。
K君のこともまだ少しは好きだったけど、
時間が経ち、今はS先輩のことが好きで、
これは僕の中では
「K君という存在を乗り越えた」
感覚だった。
振られたわけでも
失恋したわけでもないんだけどね。
最初から絶対に報われないと分かっている恋。
分かっているのにそれにハマっていく。
もうどうしようもなかった。
好きなもんは好きだし。
この頃ぐらいから
自分がゲイであること、
世の中には
LGBTという人種がいるということを
徐々に理解しはじめた。
もちろんまだ葛藤はあったし、
お風呂場で何度泣いたか分からない。
いじめもあったし、
なんだかつらくて
腕をカッターで切り刻んでしまった日もある。
(その傷は25歳ぐらいから
徐々に薄れていき、
今じゃあまり見えない。
葛藤していた印として
残しておきたかったなと
思う部分もある)
「自分はゲイなんだ」
と100%受け入れることはできなかったけど、
「自分はS先輩のことが好きなんだ」
とは思った。
そして、
「K君もS先輩も同性だし、
どうやら自分は異性ではなく
同性に惹かれるようだ」
ということも分かった。
でもやっぱり、
「自分はゲイなんだ」
と100%思うことはできなかった。
この感覚は3年間続き、
大学生になってようやく
認められるようになった感じだ。
ひとりぼっちだった。
それでも葛藤しながら
がんばって生きてきた。
報わないと分かっていても、
いつかきっと報われると信じて…
卒業式の日、S先輩とバイバイしたが、
この時の感情はあまり覚えていない。
悲しかったのか、ホッとしたのか。
S先輩がいなくなっても
相変わらずいじめはあったけど、
またS先輩といつか会える日が来ればな〜と思っていた。
それから2,3年後ぐらいだったろうか。
S先輩から
「結婚することになった」
とメールが来て、
婚約者との2ショットが写っていた。
幸せそうで、素直にお似合いだなと思った。
この時はもう嫉妬とかそういう感情ではなく、
ただただ、
S先輩、幸せになるんだなぁ、よかったなぁ…という感情。
またいつか会える日があったら
何を話そうか。
感謝してるって伝えたいな〜、なんて。
大学生になった後、
ようやく居場所ができつつあったけど、
今までの反動からか
だいぶ廃人になってしまった。
鬱も出ていたし、不登校気味。
深夜のゲーセンが趣味、みたいな。
もちろんビジネスの
「ビ」の字も知らなかったし、
年中無休で金欠だった。
でもちゃんと
ゲイ世界での活動をはじめて、
じわじわ人脈を作っていった。
「うそでしょ?同じような人がこんなにいるの?」
と思ったのが最初の感想。
嬉しかったし、怖くもあった。
ここら辺の話は
全て書くと長くなるから割愛するが、
楽しいこともあればつらいこと、別れもあった。
でもだんだんと
ゲイとしての自分を認め、
楽しめてる感覚があった。
少ないけどゲイ友達もできたし。
でも学校の友達には
一切カミングアウトはしなかった。
怖かったから。
もし拒絶されたり、言いふらされたら大変だ。
一橋大学アウティング事件なんてご存知だろうか?
カミングアウト後に言いふらされ、
当事者が自殺してしまった事件。
人によっては
それほどにセンシティブな内容だし、
海外と違ってまだ日本だと
そこまで浸透していないので、
僕は完全に隠し通す道を選んだ。
それによって、
「嘘ついてるわけじゃないのに
強制的に嘘をつかされてる」
感覚があった。
女性関係の話を振られると、
嘘をつくしかなかったから。
この癖は抜けず、
やがて社会人になった後も同じだった。
「彼女いるの?」
「結婚しないの?」
なんて話題を振られるたびに
胸がチクリとした。
嘘をつき続け、自分を守った。
誰にも悟られないように、気づかれないように。
おそらく、LGBT当事者なら
同じような経験をしてきた人も多いと思う。
僕の場合、
そもそも自分に嘘をつくってのが
あまり好きじゃなかったから、
嘘をつくたびに
自分自身が濁っていくような気もした。
そしてある日、こんなことがふと頭をよぎる。
「そもそもゲイって幸せになれるの?」
「ゲイは幸せになれない、
なんてどこかの記事でも見た気がするけど…
.それってマジなんじゃ?」
「これからもずっと隠し続けて
生きていかなきゃいけないの?」
一度考えはじめたら止まらない。
振り返ると、
好きな人に好きと伝えることすら
できない状況だったし、
幸せになれる確信がマジでなかった。
このまま心底どうでもいい
この会社に労力、命を捧げ、
周りにも自分にも嘘をつき続け、
老後を迎え、
またひとりぼっちで生きていくんじゃないの…?と。
お金もないし時間もない。
友達もそこまでいるわけじゃない。
幸せってなんなんだろう。
自分はいつ報われるんだろう。
そもそも、なんでゲイとして生まれてきたんだろう。
僕に生きる意味、生きる価値ってあるのかな…?みたいな。
おばあちゃんからよく言われた。
「いい子と結婚するんだよ」
「生きてるうちに孫の顔が見たいな」
本当にごめんね、と何度も思った。
結婚はできないし、
孫の顔を見せることもできないんだよ…と。
おばあちゃんっ子だったから、
そんなことを言われるたびに
胸が張り裂けそうになった。
「あははは、結婚できるかなぁ」
なんて作り笑いをすることしかできない。
今の僕は
誰かと偽装結婚する道ではなく、
自分で、自分の信じた道を生きていくと決めている。
だからおばあちゃんの事は好きだけど、
おばあちゃんのために僕は生きれない…。
そういう意味も込めて「ごめんね」と。
––––という感じで生きてきて、ある日、
もう色々としんどくなってしまった。
会社にも人間関係にも
嘘をつき続けないといけない環境にも
未来にも、人生にも。
そんで当時、
少し副業をやっていたこともあり、
思い切って会社をやめることにした。
もう自分の人生を生きよう、正直に生きていこう。
嘘をつかず、自分を受け入れて、己の道を…。
第二の人生のはじまりだった。
独立・起業してからの話は
今回のタイトルとちょっと逸れるので
詳しくは触れないが、僕の場合、コレが正解だった。
(※ここら辺の話を詳しく知りたい方はこちら
→元陰キャラ&いじめられっ子が月収2300万達成。
ビジネスによる逆転劇と理念を語ってみた)
自分がゲイであることを
あえて武器にしてみたのだ。
事実、こうやって発信にも活かしているし、
過去の葛藤は「葛藤資産」として昇華し
それをバネにして活動したりもした。
インターネットだけにとどまらず
オフラインの場で
起業家や経営者の集まりがある際、
「僕はゲイなんですよね〜。
あ、でも全くタイプじゃないので
安心してください!」
なんて失礼なことを言うことで
逆に気に入ってもらったり、
僕がマイノリティを公言してるがゆえに
同じマイノリティや
社会に生きずらさを感じてる人が集まってきて、
「勇気をもらいました」
なんてちらほら言われるようにもなった。
マイノリティだったからこそ
格上の経営者から好かれて
今でも仲良くしてもらってる、なんていうケースもある。
(3週間後にパーティーに誘われたので行く)
やがて憧れの出版社でトークイベントなんかもできて、
気づいたら僕は「自分がゲイ」という
最大のネックを徐々に克服していた。
というかもはや利用していた。
そして最近気づいたのだが、
社会的少数派や
コンプレックスの多い人間ほど成功しやすいのだ。
今じゃ僕は
ゲイということをほぼ隠さなくなり、
自分の人生を少しずつ愛せるようになった。
周りにも環境にも恵まれているし、幸せだなと思う。
これまでに恋人も何人かできた。
「ゲイは幸せになれない」なんて嘘で、
自分次第でいくらでも幸せになれるんだなって。
もちろんこれは僕のケースだし、
そもそもカミングアウトが正義だとも思っていない。
墓場まで隠し通す、
というのも立派な選択だと思う。
周りのLGBT友達の95%以上は
カミングアウトしていない。
会社に属している中で
いきなりカミングアウトしたら
どうなるか分からないし、
エゴの押し付けだという意見もあるだろう。
でも僕は何も隠さず、
自分の道を生きていこうと決めた。
性格に合っていたし、
隠し続けるのがしんどかった。
結果論だが、本当によかったなと思っている。
そもそも「○○だから幸せになれない」なんてありえない。
どんな状態でもどんな状況でも、
ある程度の努力は必要かもしれないが、
絶対に幸せになれる。
全ては自分次第。
自分が幸せになると決めて、
自分が信じた道を進んでいけばいいのだ。
・・・そして起業してから
2年くらい経った頃だろうか。
もう月収100万を超えて
だいぶ暇人にもなっていた僕は、
なんとなく久々にK君に連絡。
そしたら意外にも盛り上がり、
今度地元で飯でも行こうとなった。
ついにその日が来て、
車でK君を迎えに行き、
もう6年ぶり?7年ぶり?とかにK君の姿を捉え、
「あぁ、好きだったな」と思った。
当時の感情が一気に蘇り、
急に胸が痛くなって、
久々に会えて嬉しい反面
どこかブルーな気持ちだった。
お互いの近況を話し合って、
元気にしててよかった〜なんて言い合って、
そして、ピザとパスタが
無限に食べれるお店に行き、その帰り道、
「あのさ、驚くかもしれないけど、
むかしずっと好きだったわ。思い出しちゃって」
とポロリと言ってしまい、K君は窓の外を見ていた。
なんていう返事が来たかは覚えていない。
もしかしたら無言だったかもしれない。
「ネタかマジかわかんねぇよ」
みたいなツッコミだったかもしれない。
でも、ずーっと言いたかったことが言えて、
なんだか救われた気分にもなった。
彼とはいまだに繋がっているので、
会う気になればいつでも会える状態だ。
でも、もういいかなとも思ってる。
それぞれ別々の道を進み、
また交差する時が来るかもしれない。
それまでお互いがんばろうぜ、みたいな。
うまく言語化できないけど、
もう何度も会う必要はないなと思ってる。
もし過去の自分、
ずーっとひとりぼっちで悩んでいた自分に
タイムリープして会える機会があったら、
そっと抱きしめてこう言ってあげたい。
「大丈夫だよ。全てが大丈夫になるから。
報われるし、幸せになれるからね」と。
もし今、
昔の僕のような人が読んでいたら
同じく言ってあげたい。
大丈夫、大丈夫だよ、と。
自分次第で、絶対に幸せになれるから、と。
––––長くなりましたが、ここまでが僕の物語の一部です。
これに限らず、
そもそも朝に起きれないという
社会不適合者でもあります。
「自分の中にマイノリティ性がない人」には
なかなか共感してもらえない内容だったかも。
でも思うのですが、誰しも
何かしらのマイノリティ性を
持ってると思うんですよね。
人には言えない趣味とか、性格とか、闇とか。
そのマイノリティ性がゆえに
幸せになれないと決めつけて、
しんどい人生を送り続けてる人も多いと思ってます。
ある意味、そっちの方がラクなのかもしれない。
「私は○○だからダメなんだ。
ダメなんだから幸せになれないのはしょうがない」
みたいな。
すごく分かる、その気持ち。
でも自身の経験を通して思うけど、
どんな状況でもどんな状態でも
幸せになれます。
ほんと、自分次第。それだけ。
だからゲイなどのLGBTに限らず、
悩んでいる中高生に限らず、
今マイノリティ性によって
悩んだりつらい思いをしてる人は、
「幸せになれるんだよ」
ということだけは覚えておいて欲しいです。
今回話した僕のストーリーは
全て忘れもらって構わない。
ただただ、「幸せになれるんだよ」
ということだけは覚えといてください。
僕ももっと、幸せになっていきます。
それでは読んでいただき
ありがとうございました。
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