こんにちは、てらけんです。
僕は国内外を旅しながら
コンテンツビジネスやアパレルで
年1億以上を自動化しています。
最近メルマガ読者が2万人を超えました。
ありがたいことに1日に30件前後の返信が来ます。
その中で最近、鬱の人や
精神的に病んでいる人が多い気がして。
僕が発信している領域は、
・ビジネス、マーケティング
・自己啓発
・自分自身の人生経験
・たまにLGBT系
ですが、ここ半年くらいで、
「鬱で生きる希望がなくなってしまいました」
「自殺未遂をした後に
てらけんさんに出会いました。
なんとか生きています」
「毎日が憂鬱で未来への楽しみもありません」
みたいなわりと深刻なメッセージも多いなという印象。
もちろん終始明るい人もいたり、
着実にスモールビジネスに取り組んで
成果を出してる人もいたり、
身近だと年商800万くらいから
年商7000万前後まで
伸ばせた人もいたりと、色々です。
そう、「色々」なんです。
メルマガ読者が2万人ともなると、
SNSのフォロワー換算で
20万人〜くらいの価値なので、
当然色々な人がいるし
色々なコメントが日々届きます。
…今回ここで、
『未来が真っ暗で希望すら感じ取れない人』
に向けて書き記しておきたいことがある。
まずね、前提として、
僕は人生は痛いと思っていますよ。
うまくいくことばかりじゃない。
うまくいったと思ったら
平気で裏切りとかある世界です。
僕も結構失敗してきましたし、
振られてきたし、
恋人からひどい裏切りを受けた時もあったし、
つらくてしんどくて
もはや涙すら出ないような時もありました。
このつらさを、痛みを、誰にも共有できない。
誰に言っても伝わらない。
自分で、自分自身で受け止めるしかない、と。
でもそれぞれキャパがありますよね。
心の容量を超えてしまい、
パンクしてしまう人も多いと思う。
僕もそんな感じで、
昔はもう「しにたい」が
口癖になっていた時がありました。
ずっとゲイだったので
自分の本音を、
本当の姿を隠して生きてきて。
好きな人ができても告白すらできない。
「告ったのに振られちゃったよ」
と言ってる人を見るたびに
「告れるだけ羨ましいよ」
と思ってました。
世の中、スタートラインにすら
立てない人もいるわけです。
学生時代の長年のいじめ、
心の消耗、
セクシャリティへの絶望感。
会社員になった後も、
自分が自分らしく
自由に幸せに生きれている未来が
見えませんでした。
でもこのまま無思考で生きていくのも
アリだなとかも思っていました。
それはそれでラクだし。
早く人生が終わればいいな〜、
サクサク時間が進めばいいのにな〜、
とか思っていたのです。
ある日、営業車の中で
上司から怒鳴られた際、
いっぱいいっぱいになってしまって
その場で号泣しました。
大の大人が、です。
「自分はここまで
結構がんばってきたつもりなのに、
なんで報われないんだろう」
と思い始めたら情けなくて。
泣くことでしか発散できませんでした。
(以降、その上司は優しくなった…)
でね、起業してから今は
幸福な経済自由人になったけど、
過去が過去なので、
痛みを抱えている人たちの気持ちが
すごく分かるんです。
持論ですが、
「生」と「死」
は非常に曖昧だと思っています。
ふとした瞬間の判断で
次の瞬間には
「死」を選んでしまうかもしれない。
(関連記事:パラレルワールドの自分は◯殺してるかもしれない説について)
だからこそ「生」は尊い。
一時期は「死」に傾いていた僕も
今では「生」にこだわっています。
メルマガ読者の中には自殺未遂者や
もう死のうと思ってますみたいな人が
一定数いらっしゃいます。
僕の存在や言葉に勇気づけられ、
もう少し生きてみようかな、
がんばってみようかな…
という感じで思ってくれている人も
たくさんいるのを知っています。
たしかに僕は絶望からの成功、
(自分ではあまり成功とは思っていないけど…)
という観点で見たら
理想の未来側にいるのでしょう。
…だからこそここで言っておきたい。
人によっては「生」が苦しくて、
「死」を選ぶことによって
はじめて救われる人もいるのだと思います。
お金も顔も地位も名声も
手にしている有名人ですら
自死を選ぶ時代なわけで、
だから別に僕は
「死」を完全否定はしない。
ゲイの友人で、鬱で、
最後は自ら命を絶った人もいました。
彼を僕は否定しない。
考えて考えて考え抜いて
最後に「死」を選び、
それが本当に彼にとって
救済だったのなら、
そして今天国で
幸せになれているとしたら…
それはそれで否定しない。
「生きたくても生きれない人がいるんだよ」
とか、
「余命宣告された人の気持ちになってみろよ」
とかも言わないし、
「生きていたらいいことがあるよ!」
なんて酒を飲みながら
脳天気なトーンで言ったりもしない。
それは無責任だと思う。
そもそも個々の痛みは誰かと比べるものでもない。
小さな傷でも当人にとっては大きな傷だったりもする。
人生は明るい、最高だ、希望に満ちている、とも言わない。
そもそも前提として「人生は痛いと思っている」と記した。
僕自身、そんなにポジティブな陽キャラでもない。
じゃあ何が言いたいのか?
僕が経験からも思うのは、
どうしようもなく真っ暗だとしても、
言葉にならないほどの痛みがあるとしても、
眠れない夜ばかりだとしても、
その先に、その延長線上に、
かすかな、本当にかすかな光が眠っているということだ。
小さな小さな、
数字で表現するなら0.01くらいの光。
希望という名の光がかすかに灯っていて、
いつかそれにブチ当たることになる。
その0.01の光は、
99.99の闇を凌駕する可能性がある。
あぁ、この一瞬があってよかった、
救われた、ありがとう…
と思える瞬間。
その瞬間が訪れるかもしれない前に
99.99の闇にのみ込まれて命を絶つのは
非常にもったいないのだ。
その0.01の光に出逢えるまで、
四方八方がいま真っ暗だとしても、
目をかっぴらいて、
耳をつんと立てながら
歩みを止めてはいけない。
正直に残酷なことを言うと、
人によっては
その0.01の光に出逢えなかったり、
だいぶ先になるかもしれない。
でも出逢える可能性がある。
僕らは可能性の中を生きている。
かすかな可能性を胸に
この鼓動だけは止めないでおきたい。
そしてもっと言うと、
自分が気づいていないだけで、
すでにその0.01の光は周辺にあるかもしれない。
丁寧に周りを見ること。
時間をかけてでもいいので、ゆっくりと。
「あ、こんなところに光があったんだな」
と気付けるかもしれない。
気付けなかった場合、
ちょっと疲れている可能性がある。
しばらく休むのも仕事の一部だ。
僕は0.01の光を追い求めている。
昔も今も。
人生は痛いとしても
その0.01の光が緩和してくれる。
僕もまだ躁鬱の気質が抜けていないと思う。
でも0.01の光があるから生きていけるのだ。
(関連記事:【経験談】うつ病の治し方→限りなく透明化することで目立たなくする)
前に宮古島に1か月いた時、
島に1つしかないゲイバーで
初めましての人たちと楽しく交流し、
ぐだぐだになりながら歌い合って、
なんかその瞬間、、生きててよかったと思えた。
マスターから愛が溢れていた。
そこにいた人たちもみんな愛の人だった。
島自体も、
言葉にならないほど美しい海も
愛そのものだった。
あの時間も0.01の光だったんだなと今では思う。
(関連記事:【起業家ログ】宮古島に1か月、プチ移住してみた)
ということで、
あなたなりの0.01の光を探していきましょ。
それはすでにあるかもしれないし。
人生はそんなに悪いものではないと思う。
闇が自分を覆い込みそうでも、
つらくて仕方ない時でも、
人生はそんな悪いものではない。
僕らは宇宙からしたら
非常に刹那的で瞬間的な一瞬である、
尊い光の時間の中を生きている。
そう、尊い光の時間の中を生きているのだ。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
記事を読んで反省してます。
ボクは意外と人に批判されても怒られても、「はいはい、勝手に言うとけ」っていうように、一旦は受け入れるけどすぐに切り替えれる性格なんです。
がしかし、パートナーは誰かに怒られたりすると、凹んでこのようの終わりみたいな顔して話してきます。
そのたびに、「そんなんいちいち気にしてたら、キリがないで。無視しといたらエエねん。相手してへんし」って思っといたらいい。
とか、簡単に言ってしまいます。
もっと相手の立場に立って話を聞かないとな!と思いました。
ありがとうございます。