逃げ続けてきたKのプロフィールと実績

初めまして、Kと申します。

「何者?」と言われることが多いので、この記事でプロフィールと実績をご紹介していきます。

独立してから1年半以上経ちますが、ここまで来るのに色々とありました。

泣きながら記事を書き殴ったり、稼げなすぎて家族のみんなから冷たい目で見られたり。

赤裸々に書いていくので、独立を考えている人・すでに独立している人に限らず、幅広い層に読んで欲しいです。

「こんなやつでも、頑張ったら上にいけるんだ」

「私にもできるかもしれない」

全てを読み終わった時、何か熱い感情とともに、そう思える自分がいるかもしれません。

わりと長くなるかもしれませんが、お付き合いください。

まず最初に、僕の簡単なプロフィールと経歴・実績をご紹介します。

Kのプロフィールと経歴・実績

プロフィール

・20代起業家
・デブ専ゲイ
・元IT系商社営業マンで、北関東若手部門営業成績TOPを記録
・独立後、1年経たずに月収7桁達成
・コンテンツ、コンサルなど収入源は複数
・Twitterの合計フォロワー数2万人超え
・ココナラの集客・Webマーケティングカテゴリーにて3か月連続で1位(約3000人中)
・軌道に乗るものの、本当に好きなこと&やりたいことを極めた方がいいなと思い、デブ向け事業も展開予定(メディアや下着など)←最新

独立してからの経歴・実績

平成30年1月~:退職しLGBTメディアを立ち上げ。213記事執筆

平成30年3月~:トレンドブログを開始。3か月で630記事、月間50万PVに

平成30年6月~:全てを捨ててライターに転身。ココナラでのサービス,コンテンツ販売にも注力

平成30年9月~:月収164万円達成

平成30年10月~:Twitter「K」アカウント開設、3か月間でフォロワー4000人・LINEスタンプ新着人気順ランキング約200万件中8位

平成30年12月~:初noteで600部を記録。月末に9,800円のnoteをリリースし、日給100万円突破

平成31年2月~:仕組みを構築し、開始2か月目で自動売上げ100万円

平成31年3月~:月収300万円達成

令和元年5月~:法人化し、代表取締役へ

令和元年9月〜:軌道に乗るものの、本当に好きなこと&やりたいことを極めた方がいいなと思い、デブ向け事業も展開予定

↓一応、口だけならいくらでも言えるので、「証拠画像」も掲載しておきます。

インターネットの世界は闇が深く、月収10万円の人が月収100万円のフリをしていたりもしますからね…。

さて、過去から人生を振り返っていきます。

正直、あまり思い出したくないことも多いのですが、もう自分の人生から逃げず、ちゃんと向き合っていきたいので、等身大の言葉でリアルに書いていきます。

この記事は誰かのための記事でもあり、自分のための記事でもあります。

中学生時代

「あれ?小学生時代は?」と思われた方もいるでしょう。

小学生時代の思い出はあまりなく、強いて言うなら「空手」を習っていた関係で、そっちの思い出の方が濃く残っています。

小学校では特に好きな人もいませんでしたが、空手仲間のことは大好きでした。

かなり昔の話なので、記憶も断片的です。そのため、「中学生時代」からリアルに書いていきます。

・・・

今思い返しても、全身に鳥肌が立つほどトラウマです。

恐ろしいことに、数週間に一度の割合で夢に出てきます。

というのも、いい思い出が全くないほど、辛いことだらけでした。

いじめ、暴力、同性愛。

思春期など全くなかったし、心を許せる「本当の友達」も僕にはいなかったように思います。

中学では卓球部に入りました。

空手部が廃止になっていたので、しょうがなく、適当なノリで卓球部に入った形。

最初は何の問題もなく、平和に時間が過ぎていきました。

そしてある日から、唐突にいじめが始まります。

多分、中学1年生の半ば(?)頃からだったと思います。

当時、先輩達を交えて行われたリーグ戦でなぜか1位を取ってしまった僕に対し、当然、妬みの感情を抱く人間はいたわけです。

彼の名前をOとします。

Oは、僕をターゲットにし、数年間にわたりいじめてきました。

先生や親に相談すれば解決したのかもしれませんが、毎日に精一杯で、そんな余裕もありませんでした。

Oは僕に近付き、思いっきりビンタをしたり、殴ったりしてきました。

回し蹴りや飛び蹴りも日常茶飯事。

この記事を書いている今も、動悸が早くなり、呼吸が苦しくなります。そのぐらい、思い出すのが怖い存在です。

口だけのいじめならまだマシなのですが、完全に暴力でした。

そして、そんな姿を見て、当然いじめ側の人間は増えます。

代わるがわりに飛び蹴りをしてきたり、ビンタしてきたり。

ここまでくると、あまり練習にも集中できない日々が続きました。

本当は、卓球が大好きだったのに。

僕は自宅の倉庫に卓球台と卓球マシーンを設置し、一人で練習するようにもなりました。

そしていじめられながらも、なんとか市大会の個人戦で優勝。

当然、いじめはエスカレートしていきました。

もう普通に毎日絶望していたので、苦しかったです。

当時の自分を抱きしめてあげたいぐらいですが、誰も僕を抱きしめてはくれませんでした。

そんな感じで日々を送っていたし、友達だと思っていた人がみんな見て見ぬふりをしてきたことで、誰が友達で、誰が友達じゃないのか、よく分かりませんでしたし、とにかく毎日怖かった。

廊下でOやその周辺の人間に会ったら、暴力を振るわれます。

人の目を気にしながら、こっそり学校生活を送るしかありませんでした。

思うに、僕がやや八方美人になってしまったのも、この時の癖が大きく影響しているような気がします。

「怒らせないように」「なるべく暴力を振るわれないように」と徹底して周りのを気にする癖が付いてしまいましたから。

とにかく、中学生時代の思い出は、上記の内容が9割以上を占めています。

体育祭とか、合唱コンクールとか、本当はもっと思い出があるはずなのに、ほぼ思い出せないんです。

悲しいですが、これがリアルです。

 

そして中学生時代、もう1つ辛いことがありました。

同性愛への目覚め。

僕は当時から熊みたいな男性が好きで、ちょうどあの時、初恋の人もできました。

でも当然叶わないですし、告白すらできません。ただただ、自分の気持ちを殺す日々でした。

この時はまだ完全に同性愛者だと自覚していたわけじゃないので、「自分はなんで男が好きなんだろう」「きっとこれは何かの間違いだ」と葛藤もしていました。

とにかく、毎日暴力を受けていく中で、同性愛へ本格的に目覚めてしまったことで、二重に辛い日々でした。

時間は刻一刻と過ぎ、逃げるように卒業。

もうみんなに会いたくないという理由で、家から近い進学校は断念。

家から約1時間の場所にある、県内一卓球が強い高校に進学することにしました。

レベルの高い環境で、やっと卓球に打ち込めると思って。

しかし、さらにいじめは続きます。

高校生時代

高校生になり、「やっと逃げれた」と思っていました。

しかしまた繰り返されます。

卓球の強豪校なので、同レベルのプレイヤーと切磋琢磨できるだろうと思っていたのですが、結果は最悪。

中学よりも酷いいじめが行われました。

今思えば、「行動こそが人生を変える」ということ、つまり、逃げてるだけじゃ何も変わらないということを知っているのですが、当時はそんなこと、知らなかった。

本格的にいじめが始まったのは2年生になってからです。

本当に、誰かにチクればよかったのですが、怖すぎて、それすらも逃げていました。ずっと。

この時、Sさん、Aさん、Eさんが主犯格となり、僕をサンドバッグのように扱ってきます。

上下関係が異様に激しく、やられてもやり返さない僕みたいな人間は格好の餌食でした。

正座をさせられて頭を踏ん付けられたり、ビンタされたり、殴られたり、腹パンされたり、氷水をかけられたり、大事な大会の前日に右腕を意図的に傷つけられたり、母が作ってくれた弁当なのに勝手に食われたり。

肩にあざをつくる日もありましたし、唇から血を流した日もありました。

両親の収入はそこまでありません。なのに、僕を私立高校に行かせてくれました。こんな状況で、「辞めたい」なんて言えるわけがなく、ただただ耐える日がまた続きます。

そんな僕の姿を見て、「こいつなら大丈夫だ」と思われたのか、同級生からのいじめも始まりました。

仲がいい人もいましたが、当然、誰も助けてくれませんでした。中学の時と全く同じです。

そして僕自身、誰にも助けを求めませんでした。

気付いた時には、もう心はボロボロ。

家のお風呂でよく泣いていたのを覚えています。

そしてこの時期、同性愛への本格的な目覚めがあり、「自分はゲイなんだ」とちゃんと自覚するようになっていました。

認めたくない自分もいたけど、多分、7〜8割は認めていたと思います。

もちろん、相変わらず葛藤していました。

いじめ、同性愛、辛すぎる日々。

こんな状況下でも、また好きな人ができました。当時太っていた先輩です。

一緒に釣りに行ったり、先輩の家でマジックの練習をしたり、それはそれは楽しい時間でした。

毎日に絶望していたけど、あの時間だけは、本当に幸せだったなと記憶しています。

ただ、やはり同性ですし、告白すらできません。

結果、二重に辛いだけだったんですよね。

今思い返すと、この時、「お前はお前のままでいいんだよ。大丈夫だから」という一言が欲しかった。ただそれだけなんです。

結局、中学時代から数えると、5〜6年のいじめを受けていたことになります。

中途半端に現実から逃げるぐらいなら、いっそのこと、全力で逃げてしまえばよかったのですが、勇気がなかったです。

ただただ、耐えることしかできませんでした。親にも迷惑をかけたくなかったし。

あとは、こんなにもいじめを受けているからこそ、自分の中の目標は絶対に達成しようという思いもありました。

それは、「①国立大学に進学する②卓球で全国大会(インターハイ)」に進出する 、という2つ。

僕は毎日いじめられながらも、逆にそれをバネにして、どちらの目標もなんとか達成しました。

でも深く残ったのは、心の傷のみ。

もっと自分の心の声に正直に生きていけばよかったなと思います。

正直、定期的にフラッシュバックするぐらいなので、相当なトラウマになっています。

あれから何年も経っているのに、いまだにみんなから殴られている夢を見ます。不思議ですが。

卓球自体は好きなのですが、ラケットを握るために全てがフラッシュバックしてしまうので、もう今後はやらないと思います。

とにかくこんな感じで、色々とありましたが、よく分からないまま高校生生活が終わりました。

卒業式の日は、中学時代と同様、逃げるように帰りました。どんな感情だったか、もはや覚えていません。

ちなみに今はもう、絡んでる人は誰一人としていません。

※ここで一つ謝罪させてください。

卓球部内で激しいいじめを受けてきた中で、僕自身、心が壊れすぎて、そのストレスの捌け口として、クラス内のSくんを一時期いじめていました。

本当に申し訳ございませんでした。人として最低だと思います。許してくれとは言いません。

もう連絡先も知りませんが、もし会う機会があったら、土下座して謝ります。

大学生時代

もうそんな感じで、心が壊れまくっていて、わりと不安定な状態で地元の大学に進学しました。

もうここまで読んでくれた方なら大体分かるとは思いますが、過去の蓄積のせいで、ほとんど人間不信状態でしたし、周りの目を気にして、常にビクビク過ごしていました。

なぜか分からないけど、周りの目とか怖かったし、「またいじめが始まるんじゃないか」といつもドキドキしていました。

「お前は挙動不審だよな」なんて言われることも多かったので、やっぱり、態度にも出ていたのだと思います。

当然、新しく知り合う人は怖い。

「最初は仲良くしてくれるけど、途中から暴力をふるい出すのではないか」

「いつも通り、結局裏切るのではないか」

と、ネガティブな感情ばかりが渦巻き、いまいち腹を割って話せなかったように思います。

でも、なんとか、プチ大学生デビューを果たし、それなりに友達にも恵まれました。

奇跡的にいじめもなくて、本当に嬉しかったんです。やっと居場所が見つかったような気がしました。

当時の友達には、「いじめないでいてくれてありがとう」と言いたいレベルです。

ただその反動で、4年間、比較的ぬるま湯に浸かっていました。

今までが辛すぎたせいで、少しはゆっくり休みたかった、というのもあります。

友達とバカしてる時が、過去のことを忘れられるような気がして、心地よかった。

サークルにも入らず、バイトもろくにせず、よく深夜までゲームセンターで遊んでいました。

バイトはイベントスタッフや塾講師などやってきましたが、どちらも途中でバックれてます。

「自分を傷つけること」に慣れていましたし、自己肯定感が本当に低かったので、そういった部分も各所に悪影響を与えていたように思います。

そしてもうこの頃には、自分がゲイであるということに対して、折り合いをつけていました。半分は諦めですが。

ゲイの友達を作るためにネットを中心に活動したり、イベントに行ったり。

沖縄ではありましたが、同じゲイで、好きな人もできました。

その人とは半年ぐらいでダメになりましたが、今思い返しても、本当に好きだったな、と。

そんな感じで、適当に時間を消費し、気が付いたら大学4年生。ビクビク過ごしていたら、もう4年間も経っていました。

もちろん色々楽しいこともあったと思いますが、総体的に見ると、「治癒期間」だったような気がします。後付けの理由かもしれませんが…

また、流されるまま就活をして、IT系の商社から内定をもらいました。

なんとなく、自分は営業マンに向いていると思ったのでしょう。(人見知りなのに)

ちなみに現在、大学生時代の友達とも全く絡んでいません。

これはきっと僕が悪いのですが、中学・高校で「上辺」で付き合う術を覚えてしまったため、それが癖になって、大学でもやってしまった可能性があります。

事実、僕は親友だと思っていた人にすらまともにカミングアウトをしませんでした。

今現在、誰からもLINEが来ないということは、結局そういうことなのでしょう。

社会人時代

流されるように、営業マンになりました。

「自分の人生から逃げ続けていたら、いつの間にかこうなっちゃった」みたいな感覚です。

もはや、自分の人生じゃないような気さえしました。

実際に怖い先輩や上司を見ると、記憶がフラッシュバックし、「またいじめられるのでは?」「また暴力を振るわれるのでは?」と黒い感情が渦巻きました。

相当長い間、病んでいたと思います。

でもなんとか耐え、約2年間、サラリーマンをやっていました。

販売していたものは、コピー機、パソコン、セキュリティ機器、システム、LED、新電力、机や椅子、消耗品、などと多岐に渡ります。

ありえないほど理不尽な上司もいましたし、気にくわない同期もいました。

しかし営業マンとして、理不尽なことは付き物。いじめられていた学生時代に比べると、こんなのへっちゃらだ、と自分に言い聞かせていました。

「言われても言い返さない」「やられてもやり返さない」という癖が染みついてしまってるせいで、たびたび、怖い上司に標的にされていたのは事実ですが、それでも昔と比べると全然マシでした。

営業車の中で怒鳴られてボロボロ泣いたりしていましたが、それも、まだ暴力がないだけいいと本気で思っていました。

ネットで調べると「ブラック企業」と出てくる会社でしたが、それなりにいい上司も好きな上司もいました。

ただ、相変わらず上辺での付き合いをし、また、ゲイであることは隠していたので、終始「仮面」を被って生きているような感覚でした。

飲みの席とかで女性関係の話を振られるのは辛かったです。

もう、嘘をつくしかないでからね。

そう。環境によって、嘘をつかざるを得ないのです。

そんなこんなで、仕事、人間関係の辛さなどから、色々と思い詰めるようになり、2017年12月をもって退職します。

ちょうど辞める数か月前、ネットを通じて知り合ったある方から「一緒にメディア運営で起業しないか」と言われ、それに乗ろうと決めました。

もう、上辺で付き合うのはやめよう。

歯車が色々とおかしくなるぐらいなら、組織に縛られない形で、自由に生きよう。

そう思って、そそくさと会社を後にしました。

共同起業を夢見て、フリーランスに

さて、そんなこんなで、2018年1月から、共同起業を夢見てフリーランスになります。

相手の方は、アフィリエイトで大きな成果を出している方でした。

当時、この方は僕の「師匠」だったので、ここでは「師匠」と記述していきます。

師匠は、僕が会社を辞める数か月前から、ココナラでのマネタイズ方法を教えてくれました。

そして実際、拡散や記事広告の仕事を受注でき、数万円程度のマネタイズに成功。

なので、完全なる収益0円で独立したというわけではありません。

師匠とはココナラを通して出会い、それからSkypeで話すなりして、意気投合。「メディアを運営して一緒に大きくしていこう」という提案には、すぐに乗っかったのを覚えています。

師匠は、コンサル費などはいらないから、その分、労働力が欲しいと言いました。

僕はコンサル費を払わない代わりに、徹底的に知識を叩き込みつつ、記事を更新しまくろうと決意。

2018年1月、ほぼ毎日通話会議をしながら、記事の打ち合わせと執筆をしていきました。

当時、「まずはLGBTニュースメディアを作ろう」ということで、毎日盛り上がっていました。

本当に楽しかったのを覚えています。

そして1月から2月になり、2か月間で213記事を執筆。

3月1からはトレンドブログを開始し、5月24日にはデイリーで43,691PVという最高PVを達成。

わずか3か月目にして、月間50万PVに到達していました。

3か月間で書いてきた記事数は630記事です。

寝る時間以外は全て記事執筆時間に充てていました。

なお、ココナラで「記事広告」を受注した際に、納品するサイトも作ってもらっていました。

気が付いたら、そこにも100記事ほどアップしていました。

ちなみに、アドセンスやアフィリエイトのアカウントは全て師匠のものです。

発生した収益から折半しようという提案でした。

この時は、本業が記事更新で、隙間時間にココナラ案件を対応、という感じ。

しかし、トレンドブログ3か月目にして月間50万PVに到達したものの、そしてこの短期間で943記事も執筆したものの、広告収入はわずか2万円ちょっとでした…。

師匠と折半で、月収1万円です。

「なぜ50万PVなのにそんなに収益が少ないの?」と思う方もいるかもしれませんが、正直、原因不明です。

これは今だから言えますが、稼げなすぎて本当にショックだったし、心が折れてしまいました。

この時、ココナラからの収入もありましたが、あくまで「サブ」としてやってきたこともあり、そこまで大きな収入ではありません。

それに、「かけている想い」が違いました。

実家に引きこもってひたすら記事を書いていたので、親からは心配される日々。

ポロッと「頑張った結果、トレンドブログから1万円ぐらいの収益が発生したよ」なんて言った日には、さすがに呆れられましたし、怒られもしました。

遠距離恋愛中の恋人からも「本当に大丈夫なの?」と心配され、僕も毎日不安だったのです。

僕はメンタルが強くないため、全てが重なり、一気にしんどくなってしまい、もうダメだ、とまた思い詰めてしまいました。

もう限界でしたし、泣きながら記事を更新する自分を客観視した時、「一体何やってるんだろう…」とどこか冷めている部分もありました。

そんなこんなで、6月5日、師匠と通話。

全ての事情を話し、当初の予定だった共同起業から降りることに。

6月6日からは「生活しなきゃ」ということでランサーズに登録。

師匠とは、「ライターの仕事をメインにしつつも、トレンドブログは今後も更新していく」と約束したのですが、実際、ほぼ更新できなかったんです。

いざ初めてみるとライターの仕事が意外と重く、時間がなかったという言い訳になりますが。

6月6日から15日まで「タスク」の仕事をこなし、16日からは「プロジェクト」の仕事をこなしていきました。

同時に、ココナラに注力したこともあり、6月は月商33万円の、月収27万円を達成。

死ぬ気で記事を書きまくっていたので、なんとかこの結果が出せました。

しかし、師匠との約束が守れなかったこともあり、6月末、師匠を怒らせてしまいます。

共同起業を降りた上に、「トレンドブログは今後も更新していく」と宣言しながらも、ほぼ更新できなかったのが原因です。

最終的に、再度通話で色々と話をし、僕が師匠に50万円を支払う形で折り合いをつけました。

これはコンサル費であり、示談金でもあります。

師匠に対しては色々と申し訳なく思っています。

もうあれから交流していませんが、今の僕があるのは師匠のお陰です。

※9〜10月になり、3サイト(943記事)全てがウィルス感染しました。

これにより、現在もなおサーバーダウンしている状態で、開けなくなっています。

信じられないかもしれませんが、943記事を吹っ飛ばしてしまいました…

この話を某ブロガーや盟友にしたところ、「その人から利用されてただけ」「Kひとりで何百記事も書いて収益は折半っておかしくない?」「そもそもアドセンスの収益が少なすぎておかしい」「最終的に50万円も払った意味が分からない」「ウィルス感染?そんなことは絶対にあり得ない」などと言われました。

真実は分からないです。

1人で7月を迎える

2018年7月、僕は真の独立を迎えます。

お金もないし、943記事という資産もなくなってしまいました。まっさらです。

僕も生活がかかっていましたし、とにかく稼がなきゃと思い、とにかくランサーズとココナラで攻めていきました。

記事が全て消えても、落ち込んでる場合ではありません。

結果、月商57万円の、月収42万円達成。

寝る時間以外はほぼ仕事をしていたと思います。

ココナラと本気で向き合う時間も増えた結果、収益が伸びていきました。

8月は月商83万円の、月収60万円達成

記事の書き方など教わっていたこともあり、あとはそれを活かすだけでした。

一言でいうと「圧倒的な作業量」なのですが、なんとか月収だと60万円を突破。

大手新聞社が運営するメディアから依頼を受けたりもしました。

9月は月商220万円の、月収164万円達成

9月になり、ココナラは絶好調。

大型案件を連続で受注したり、何かとオプション付きで買われることが多くなったり、金額が増えていきました。

数千人のライバルがいるカテゴリーランキングで1〜3位だったので、かなり強かったと思います。

(もう僕はやっていませんが)別名義でお悩み相談の仕事を始めたりもして、そこからの収益も合わせると、気が付いたら月収7桁を突破していました。

サラッと書いていますが、朝から晩まで休みなく仕事をしていたので、相当なハードワークです。

いざ7桁を突破してみると、「嬉しさ半分・こんなものかという感情半分」でした。

なお、「物販にも手を出してみよう」と思い、9月3日から物販コンサルに30万円を投資しています。

こんな感じで、1人になり、時間投資と自己投資をしてきましたが、ちょっと燃え尽きた感はありました。

10月、Kアカウントを開始

10月になり、「もっと自分よりすごい人から刺激をもらいたいな」という感情が湧いてきます。

また、仕事のしすぎでちょっと疲れてしまったこともあり、新規Twitterアカウントを作成し、フリーランス界隈・ブロガー界隈に乗り込もうと決意。

結果、初月からフォロワーをぐんぐん伸ばし、3か月で4000人を突破しました。

Twitter経由でコンサルを何本も受注できたり、会員制のオンラインサロンを開くことまでできました。

上辺で付き合わなくていい仲間とも出会い、とても刺激的な日々を送っています。

12月、noteで日給100万円達成

クリスマスの日に有料noteを出しました。

これまで、LINEスタンプに関するnoteを100円でリリースし、600部を売り上げるなどの実績はありましたが、12月に出したものは9800円の高額note。

当時の傾向を見る限り、当時インフルエンサーが出す高いnoteでも980円が限界という感じでした。

僕はそこの価値観をぶっ壊そうと思い、そして、圧倒的な価値提供によりそれを可能にしようと思い、しっかり戦略を立てたのちに、リリース。

結果、一晩で100部ほど売れ、日給100万円を達成。

薄利多売な僕でしたが、この時、マインドブロックが壊れたように思います。

なお、12月は最高月収を更新しました。

2019年の2月〜3月で仕組み化

仕事と勉強の日々でしたが、仕組み化・自動化しようと思い、コンテンツビジネスに挑戦。

ココナラでも独自サービス・商品を販売しているのですが、ココナラ外でもチャレンジしようと思い、行動に移した形です。

集客力とコンテンツ力の両方を武器に、開始2か月目にして、自動売上げ100万円を達成。

2019年5月30日、法人代表取締役へ

令和元年になり、法人化しました。

後回しにしてたせいで独立してから1年半ぐらい経ってしまいましたが、これで僕もようやく経営者に。

2019年9月、転機が訪れる

9月13日〜15日、僕が大好きな高橋歩さん(作家であり実業家)主催のハワイ島ツアーに参加。

4年間交際していた恋人と別れ、その傷心旅行で行きました。このハワイ島に参加する前までの数か月間、別れたショックで仕事は全くできずにいたんです。

「こんな状態だけど、僕の人生、このままでいいのかな…」と思っていたのですが、このツアーに参加したことで、本当に好きなことを仕事にしているキラッキラした人達と出会い、価値観がグッと変わりました。

いつまでも落ち込んでる場合じゃないし、僕には僕でやることがある。

今後はデブ向け事業もやっていこうと思います。

ありのままの姿で、本気で、熱く生きていきたい。

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